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地図にない濠 川崎医科大学総合医療センター建設に伴う発掘調査に関するひとりごと

[2026年3月10日]

ID:80054

どうなってた? 400年前の岡山

大都会岡山などと揶揄されますが、現在の岡山市街地は大都会らしく、ビルに埋め尽くされており、このビル群の下にかつて広がっていた風景を想像することは難しくなっています。1630年ごろの江戸時代前半には市街地東側の丸の内や内山下、中山下や表町などには武家屋敷や家屋、寺などが立ち並び、今と同じような位置に道路が走る街が形成されていたことは、当時の絵図などから明らかですが、それ以前の風景は、市街地をちまちまと(市街地の発掘調査は面積が狭いことが多いのです)発掘した結果をつなぎあわせて想像するしかありませんでした。

ビルの下の巨大な濠

川崎医科大学総合医療センター建設に伴う発掘調査は2012年から13年に、北区中山下地内の約8000平方メートルを対象に行ったもので、市街地でこれほど広範囲を一度に調査したことはいままでありませんでした。調査では当時の絵図どおり武家屋敷が立ち並ぶ街の一角が見つかりましたが、その武家屋敷の敷地の下から、幅6m以上の巨大な溝が出てきました。

画像の手前から奥へと濠が伸びる

写真1 検出した濠

溝は深さも2m以上あり、調査区を多少蛇行しながら東西に横切っていました。その大きさから濠と呼ぶべきもので、中には水がたたえられていたようです。幅が広く舟も通っていたかもしれません。中からは桃山時代から江戸時代初期の陶磁器、金属製品、人形や下駄などが多量に出てきました。切羽や小柄などの刀装具、志野や織部などの茶器なども混じっており、周辺に住む、それなりに文化的な生活をしていたおそらく武士やその家族が、大きな濠があること幸いにごみを捨てていたようです。

口縁部が花弁のように広がる陶器の写真

写真2 出土した唐津向付(16世紀末から17世紀初頭)

乳白色の茶碗

写真3 志野茶碗(16世紀末)

古の岡山が見えてくる

このような桃山時代から江戸時代初めにかけての濠は、市街地の発掘で想像できないようなところから時々発見されます。今の市街地には西川や枝川などの護岸されたまっすぐな水路が数本流れるだけですが、ほんの400年前には多くの濠が縦横に巡る光景が広がっていたようです。このような水の都ベネチアのような大都会岡山の風景をおおげさに想像するのはとても楽しく、また興味深いことでした。

写真の手前から奥へと濠が伸びる

写真4 市民会館で検出した濠

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